脱皮レポート・1

二月に起こった「盗難事件」は、嵐のように私をなぶり、精神的・経済的・肉体的被害をもたらした。

たとえば体重は、盗難からわずか三週間余りの間に、3キロもやせた。にもかかわらず、事件のことを何も知らない知人に会うと

「あら、すっきりしてきれいになったわねー。あごの線がくっきり出て。ダイエットでもしたの?」

私の場合
「人生が定期的にダイエットしてくれる」
ので、その必要はないのだ。それもいつも突然、無理矢理。

すさまじい勢いで私をなぶった嵐は、去っていくついでに
「不要な物」
をごっそり持って行ってくれた。

それに気づくのは、実は数日たってからなのだが。なにか、憑き物が落ちたように
「すとん」
と、身も心も軽くなった。

これは「脱皮」なのだ、と思う。一皮むかれて。気がついたら、今までとはちがう私になっていた。

まず、最初の脱皮症状として
「猛烈に物が捨てたくなってきた」

これもまでも、環境や活動に合わせてかなり大胆に家を大整理&自力リフォーム。物もバンバン捨てて来たのだが、これまでと明らかにちがうのは

「なくても生きていける物をなくそう」
「本当に今の自分にとって必要な物と暮らそう」
という明確な基準が生まれたことである。たぶん一晩で。

なにしろ「一番なくしたら生活上困る」ものをごっそりやられたので、その反動なのか
「こんなもの、なくても生きていけるじゃん」
的マインドに、一気になってしまったのである。

そのお告げ、啓示は朝方の四時頃いきなりやってきた。これは私にはたびたび起こることなのだが、二年半前にべラを亡くした時も

「ソファを捨てるんだ。テレビも。さぁ!」
という声が聞こえ、早朝から起き出して、三人げかのソファをエレベーターに向かって大移動していた。

結局、エレベーターに入りきらず。再びソファを家に運び込んで
「のこぎりで解体」
したのだが、今回のお告げも同じ早朝、四時頃であった。

「今年、もしくは来年使わない物は、すべて手放すんだ」
「今すぐだ!」
「このまま50歳を始めてはいけない」
「新しい自分でスタートするんだ」

がばっとベッドから起きるなり、ジャージ着替え(スポーツウェアというにはこの場合スマートすぎる)まず私が向かったのは
「物の密集度が一番高い棚」
であった。

ここには本はもちろん、写真、アルバム、楽譜、資料など思い出がいっぱい。

「そこに手をかけるのだ」
と思うと、めまいと共にかすかな興奮すらおぼえる。危ない感じ。

「まずは写真&アルバムだ!」
いやはや、ものすごい量(写真一枚目)。さすがに大切な写真だけはセレクト。にしても

「保管と廃棄の割合が、最初から1 対9」
というのは、すごい。こんなもの(お告げ)にとり憑かれなかったら、絶対無理。

「今持っている物を手放さなければ、新しい出会い、縁は入ってこない」
「今日から第三の人生を始めるのだ」
「思い出は、心の中にあり」

呪文のように唱えながら、どんどん捨てていく。きっと後で後悔する物もあるのだろうが、それが10%未満の場合
「よし」
とすることにしよう。

それに。マラガはゴミの分別が甘く「ビン、缶、容器、オーガニック・・・」などはもちろん分けるが、かなり捨て放題。レッスンの合い間に、憑かれたように大整理。

「これが終わらなければ、誕生日は迎えられない」
とっくに過ぎたが、お祝いの一つする気にならないのは
「完全脱皮したい!」
という強い欲求のせいであった。
(明日に続く)

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「脱皮レポート・1」への2件のフィードバック

  1. その感覚、なんとなく分かります。
    私の場合は度重なる海外引越しで、後生大事に持ってたもの泣く泣く全部手放し(初めの頃は少しづつ減っていったのだけど、最後はついに)スーツケースひとつになったんです。
    その後しばらくは喪失感でいっぱいでしたが、今やっとひとところに落ち着いたら、何も買わないミニマニストになりました~
    めちゃくちゃ気分スッキリですよ。
    あと60過ぎて「自分の体の声に耳を傾ける」というのが何となく出来るようになり、無理をしなくなりました(って言うか出来ない~)

    脱皮おめでとうございます~

  2. 「度重なる海外引越し」。
    すごいですね。国内でも大変なのに。
    世界を股にかけて引越し。

    移動が飛行機だけに(車で運べないから)
    スーツケースにまでたどり着いたんでしょうね。
    Mayさんお疲れ様でした。あっぱれ!

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