「盗難事件」に遭ってすぐ「誕生日」を迎えた二月。
あらゆる手続き、復旧作業のあまりの忙しさに、食事を取る時間もなく、それでもレッスンを続け、夜だけはしっかりと眠った。
お祝いどころではなく、だいたい誕生日のメッセージもアイフォーンがないので受け取れない。
そんな中で、私が自分自身にした「誕生日プレゼント」がある。
心穏やかではけしてない中で、涙を流しながら私がしたのは
「絵を描くこと、そしてピアノを弾くこと」
アーティストというのは、職業ではなく生き方だ。だから
「悲しいから、つらいからしない」
のでは意味がない。
たとえうまくできなくても、思うようなものができなくても、とてもアートだなんて気持ちになれなくても
「その気持ちをそのまま表せばよい」
と思う。
私は誕生日の日、いつものように夜の8時半にレッスンが終わると、たった一人で家でいた。
すてきな料理も恋人も、何もない部屋で。泥棒が入って来るかもしれない家に、ドアにつっかえ棒をして、一人で無言でワインを飲み、悲しみと怒りと不安と絶望に打ちひしがれていた。
でも、自分への50歳のお祝いとして
「ピアノを弾き」
「絵を描いた」
その絵がこれ(写真)。寝るまでの一時間で描いたので、まだ描き始めの段階ではある。
この絵は今も、私のアトリエに「途中のまま」置いてある。が、毎日目にするたびに、私に不思議なパワーを与えてくれる。絵の内容ではない。
「あの悲しみと怒りと不安と絶望の中で描いた」
ことが、私にアーティストとしての覚悟や自信を与えてくれるのだ。
自分の限界と向き合うことで、私の中からあふれ出る
「色や形や音」
悲しみと怒りと不安と絶望は、私たちアーティストを通して
「極彩色の色、形、音」
になる。
感情や思いが私たちを通して形になろうとする時、自分がメディウムだとはっきりと感じる。
ちなみにこの日、自分への誕生日プレゼントとして弾いた曲は名画「いそしぎ」のテーマ。女流画家と妻子ある男性との恋物語。この一月から編曲を始めていた。
涙を流しながら弾く。描く。それが私の決めた人生だから。もちろんその時はつらい。でもその後に
「自分の人生を貫いた幸福感」と「作品」が、私のもとに届けられる。そして何よりパワーが。
愛とアートに生きる。そう決めてすいぶん時間がたった。私は愛とアートに生きるだろう。これまでも、そしてこれからも。
遅まきながら、お誕生日おめでとうございます。
絵が描けてピアノが弾けるのが素晴らしいです。
それが無かったら、心の中で悶々とします。
とにかく、つっかえ棒を壊して泥棒が入ってこなくて良かった!
Mayさん、お祝いメッセージありがとうございます。
本当に「心の中の思いを外に出す」のは大切なことですね。
絵もピアノもダンスもそうですが
「集中して体を使う」のが、私には合っているようです。
イスやソファに座っていたら、頭であれこれ考えて悶々としそうだなぁ。