13. みさのちゃんとようちゃん・後編

小・中学校の同級生である、みさのちゃんと
だんなさんであるようちゃんは、「木の家」に住んでいた。
写真では見ていたが、実際、玄関に入ると早くも
「木の洗礼」が、待っていた。

「うわ~、木の匂いだー」
くんくん鼻を鳴らし、香りを吸い込みながら、リビングに入ると
「ありゃ~、これは!」
見渡すかぎり、目に入るものすべて、
壁も、柱も、床も、梁も、家具もすべて、「木」でできている。
スペインの「石」の文化に慣れているわたしたちの目には
温かく、やさしく、やわらかく、そして何より「呼吸している」ように見えた。

わたしたちは「天ぷらやシチュー」などの手料理をいただきながら
赤ワインで再会を祝った。

不思議なのだが、
二人がマラガに来た夏から、たとえ二人はもう日本に帰ってしまっても
マラガにいるのを、何度も感じた。
いっしょに見た景色、行った場所、通った道に立つたび、
わたしたちは、「いっしょ」なのを感じた。

たぶんわたしたちは、一度いっしょに大切な時間を過ごすと、
たとえそのあと離ればなれになっても、
「思い」は生き続ける。
姿が見えるかどうかは、たぶんそんなに重要なことではないのだ。
マラガのあちこちに、二人はいた。
それを感じられることの方が、ずっと大事。
そのために、わたしたちは「こころ」を授かっているんだ。

「もうちょっと近くに住んどったらねぇ~」
「週末、会いに行けるんだけどねぇ」
わたしたちは、声をあげて笑った。
ほんとは、もっと話したい。会いたい。泣きたいときだってある。
でも、と思う。
この瞬間いっしょに「生きている」ことが、大切。
そして、お互いの心の中で、大切に思っているということ。

わたしたちが飲み込んだ、声にしなかったおびただしい言葉を
たとえ聞かなくても、
「笑っていてほしい」から、わたしたちはできる限りのことをするだろう。
それがわかっていれば、いいではないか、と思う。

わたしたちは、最後にもう一度抱き合うと、
「大切な人が、笑っていてくれること。それが一番の幸せだよね」
と、言いあって別れた。
まだまだ、これからいろんな悲しみが、わたしたちの上にふりかかるだろう。
そのとき、全力を尽くす。
その言葉にならない約束を、心の中でつぶやく。

最後に、ようちゃんが「大樹信仰」のべラのために
家の近くにある「いちょうの大樹」に案内してくれた。
闇の中で、声もたてず、立ちつづける大樹。
知る人だけが知る大樹の存在に、わたしたちは手をあわせた。

人生で大切なことの多くは、音もなく、心の中で、行われる。
「思い」や「感謝」や「大切に思う気持ち」や・・・・
たぶん誰にも知られることなく、はかなく消えていく。
でも、友達はすごい。それを互いにわかりあうことができる。
その聞こえない声を、ちゃんと聞くことができる。

わたしはその夜、みさのちゃんやとようちゃんが
わたしたちと過ごしたことで
これからあちこちにわたしたちを感じて、さみしくないといいなぁと思った。
わたしが、マラガで感じたように。

楽しさと、さみしさは、同じコインの裏表。
でも、「また会おうね!」
と言った瞬間、わたしたちのあいだに流れる時間は
「再会までのカウントダウン」になる。

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