昨日の続き。ルイスが病院へ入る。それは、たった一つのことを意味していた。
「鎮静剤を投与し始める」
それにより、意識が徐々になくなっていくので、これから会話はできなくなる。
彼はドクターなので、これから彼が立ち向かうすべてのプロセスを明確に知っていた。だからこそ取れた決断とも言える。
スペインでは鎮静剤を打つにあたり、二つの決断が取れる。
「家で、家族の者が行う」
「病院へ入り、医者および看護婦が行う」
ルイスは後者を選んだ。私の場合、べラが「自宅で最期を迎える」ことを望んだので、前者を選択した。
今でもおぼえているが、医者によりいきなり
「モルヒネおよび鎮静剤の投与」
のレクチャーが始まった時、体が震えた。必死でメモをするが、まるで頭に入っていかない。
注射一本打ったことのない私が、いきなり投与するのが、モルヒネや鎮静剤なのだ。まちがわないように注射器に入れる量をメモしながら、私はずっと震えていた。
ルイスは、そういうことを家族にさせたくない、と言った。なにより、自分が勤めて来た病院で、安心して医師の手に任せることを望んだ。
飛行機の時間が迫って来る。私はルイスに最後のお別れをした。体を抱きしめ、手を握り、両頬にキスをする。いつものように。
この、今まで何十回と繰り返したきた別れの挨拶が、今日で最後になる。もう二度とルイスを抱きしめることはない。その事実に言葉がつまった。
でも、私たちはもう泣かなかった。
「プリンセサ、気をつけてマラガへ帰るんだよ。いい旅を」
「ドゥーケも、いい旅を」
「これからは別の次元が、住処になるよ」
「ドゥーケ、本当に・・・どうもありがとう」
昨夜、さんざん泣いたのだ。ルイスに思いを伝えたくて、ベッドで一緒に寝ころびながら、私たちはずっとおしゃべりをした。
あんまり泣いて鼻水が出て、鼻血まで出て
「なんて情熱的なお姫さまだろう」
と、ティッシュで鼻を押さえる私に、ルイスが声をたてて笑った。
だから、最後はせめて笑顔で。あなたが、私の笑顔が大好きだと言ってくれたから。だから私は笑う。
「ドゥーケ・・・ノス・ベモス(また会おう)」
お別れでなく、また会う約束が、最後の言葉。
「シィ、クラーロ(もちろんだとも)。ノス・ベモス、プリンセサ」」
ルイス、ありがとう。私の人生にいてくれて。私をいつも守ってくれて。
帰りの電車、飛行機の中でも、私はずっと泣いていた。マラガに帰ってすぐにレッスンが始まっても、なかなか調子が戻らなかった。
入院して三日。鎮静剤の投与により、徐々に意識がなくなり、ルイスは眠るように息を引き取った。彼がそう望んだ通り。
そのことを、私はマラガで聞かされた。マンションで一人、Tシャツをペイントしている時に。電話で。
もう二度と会えない。声も聞けない。その現実感が、再び私を打ちのめした。でも、私は泣きながらペイントし続けた。
これからは、私たちの心の中で生きるルイス。だったらその心が強くたくましく、しなやかであるほうがいい。泣いてばかりの心じゃ、いやだよね。
一年前のルイスの写真を「ありがとう」の代わりに載せたいと思う。
(完)