なにしろ日本初公演。
つまり、日本初トーク。
ちゃんとしゃべれるのかなぁ。それが何より、心配だ。
今日の観客席には、会社員時代お世話になった上司、先輩、後輩、
デザイナーさんまで来ていただけると聞き、ますます不安になる。
このご一行様が、最後にわたしの姿を見たのは20年近く前、
まだ「会社員」をしていたときなので
はたして、あの毎日スーツを着て打合わせやプレゼンをしていたわたしと
今夜のピアニストって、くっつくのかな。
「日本語を話す」「ひとさまの前で」
と、思うだけで、玉のような汗が出てくる。
これならまだ、プレゼンの方がましだ。
横に大野さんや後藤KK、さらには林部長がどど~んと
いざというときのために、控えていてくれたのだ(当時)。
が、今夜は頼りになるのは、ベラだけ。頼みの綱が外国人か。
「とにかく、曲の紹介をしてピアノに向かえばいいであろう」
と、開き直る。
そうして、午後7時30分より始まった「日本初ライブ」。
「エルム」のようなお上品なところには、ちゃんとピアノの横に
「弾き語り」用のマイクが用意されているのだが
今まで「弾き語り」のような、そんなしゃれたことをしたことがなく
つねに「正面に出て客席にまっすぐ体を向ける」という姿勢になれていたので
1曲終わるごとに、わたしはピアノから立ちあがり、
正面マイクに立って、曲紹介をした。
「座りながら」などという、中途半端な体勢では
腹から声が出ないのである。
って、出さなくてもいいために、マイクがあるんだろうが。
そういうわけには、いかんのだ、体育系は。
さて、第一部が無事終わり、
いよいよ第二部は、この「エルム」のオーナーである加藤修滋さんと
大久保ナオミさんによる、ピアノ&バイオリンの登場である。
何十年とタンゴをいっしょに弾いていた、という二人は息もぴったり。
音楽というのは、その人らしさが「そのまま」出るが
加藤さんのピアノを見ながら
わたしもいつか、こんなふうにクールに弾けるようになるのかなぁ、
と、自分の数年後の姿を思い描いてみた。
が、その「図」は、「正面マイクに仁王立ち体勢」で
せいぜいお客さんを笑わせている図、なのであった。
ライブが終わり、20年ぶりに再会した「会社員時代」の顔、顔、顔。
「ああ~っ、林部長、後藤係長、小林君、香美さん・・・
今日はお忙しいところ、本当にありがとうございました!」
20年ぶりに会った林部長(現社長)は、開口一番
「きみどり君、きみは20年前とまったく話し方がかわってないなぁ!」
ピアノより、挨拶より、「話し方」であった。
「す、す、すみません、話すのが下手で・・・」
と、頭をぺこぺこ下げながら、はたと思った。
これでは20年前とまったく同じではないか。
「プレゼン後」が、「演奏後」にかわっただけで。
後輩であった小林君は、いつのまにか立派な大人になっており
デザイナーであった香美さんは、あいかわらず落ち着いており美しかった。
そして後藤係長(現取締役)は、信じられないくらい変わっておらず、
その横で大野さんも笑っており、
一瞬、「忘年会のあとだったかな、これは」、と思うほどだった。
タンゴの名曲「ボルベール」の歌詞
「ベインテ・アニョス・ノー・エス・ナダ(20年なんて、なんでもないさ)」を、
実感した瞬間だった。
この歌詞の意味がわかるために、戻ってきたみたいだ。
大きな人生という流れの中では
20年なんて、なんでもない。
そういう単位で、別れ、再会するくらい
わたしたちは生きてきたんだな、と思った。
さて、この「会社員」になる前から、実はお世話になっているのが
伊藤さんと中岡さんのお二人である。
「おめでとう!」
と、花束を持って、この日も会場にかけつけてくれた。
「19歳で就職活動を始めた」わたしを、文字通り「引き取り」、
アルバイトを通して、業界のこと、製作現場のことを教えてくださった大先輩。
「どうして、うちに?」
と、電話口で問う伊藤さんに
「イエローページで上から順に電話してるんです」
とバカ正直に答えたあの日より、おつきあいをいただいて25年。
今日は、ベラと夕食をするのを楽しみにしていてくれた。
「タクシー来たよ、はいべラちゃん、乗って!」
「ああ~、おなかぺこぺこ~」
日本語でうめきもだえるベラをタクシーに押し込んで
わたしたちは、夕食をすることになっていたレストランへ向かった。
(「ニッポン驚嘆記・19」につづく)