オウムの悲しみと怒り

陶器の一日実習から戻ると、家はすごいことになっていた。特にシャワー室。いったいオウムに何が起こったのか。

「ほったらかしにされていた」悲しみと怒りのマニフェストなのだろう。が、一瞬何がどう壊されているのかわからなかった。

「どうしてオウムを鳥かごの中に入れておかないんだ!」

と友人。ごもっとも。でも私のレッスン中、おやすみ中、創作ラストスパート中はいつも鳥かごの中。

なので、せめてそれ以外は自由にさせてあげたい。っていうか、鳥かごに入れようものなら

「ぎゃ〜、ぐぇー、ぎゃん!ぷー」

などと得体の知れない叫び声を、鳥かごから出られるまで止めることはない。ものすごい継続力。私よりはるかに。

あまりのうるささに、つい出してしまう。たぶんここが問題なのだろう。遊んで(破壊して)いる間は「静か」にしていてくれるしなぁ。

最近忙しくて、遊んであげていない。そのことに気づき、はっとする。

「ごめんね。さみしかったんだよね」

顔を近づけて話しかける。目を見つめると、じっと見つめ返してくる。急にボワっと丸く膨らんで、あくびなど始める。これで安心、みたいな。

話しかけられる。見つめられる。って、大切だよね。自分が存在する、って感じられる。

だから最近、キッチンへ行けばキッチン、トイレに行けばトイレに、寝室に行けば寝室へ必死についてくる。

反省。でも食事は三食いつも一緒。おやつも。おしゃべりしながら。それもスペイン語(笑)日本語、わからないだろうな。

Facebook にシェア
[`google_buzz` not found]

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です