先日、とてもうれしいことがあった。ピアノ教室に通うAちゃんは、一言も言葉を発さない。シィ・ノー(イエス・ノー)さえ。
1時間の間、ピアノの音と私の声だけが教室に響く。ご両親さんは「内気で・・・」「誰とも話さなくて」と気を遣って言ってくださる。
1回目、2回目、3回目。Aちゃんの声を聞くことなくレッスンは進んだ。もちろん笑顔も見たことはない。
ずっと黙って表情を動かさない。でも。大切なのはピアノが好きで、自分の弾きたい曲が弾けるってこと。
Aちゃんは「エリーゼのために」の1ページ目が弾きたくて、毎週必ず練習&暗記して来た。それ以上に何を望むでしょう。
「大丈夫!バッチリコミュニケーションできてます」
ご両親さんに私は笑って答えた。その横で、Aちゃんは無表情のまま黙っていた。
私も人間なので、正直自信がなくなることもある。不安になることも。でも。
「コミュニケーションバッチリ」と、言い切ることが大切な気がした。少なくとも私は
「少しも問題ないよ!」「一緒にいて楽しいよ」
と、Aちゃんとご両親さんにはっきりと伝えたかたった。
そして2ヶ月が過ぎ、発表会のための自己紹介の練習となった。子供たちはみんな演奏前に日本語で挨拶をする。
「やりたくなかったら、しなくてもいいんだよ」
するとAちゃんは、小さな小さな声で、私の書いた日本語を読み始めた。それを耳にしながら息が止まりそうになった。
そして。発表会当日。私はもう一度、Aちゃんにだけ聞こえる声で尋ねた。
「やりたくなかったら、しなくてもいいんだよ。挨拶してもしなくても、私はあなたが大好きだからね」
Aちゃんはうなずき、みんなの前に出て行った。そして小さな小さな声で、全て完璧に挨拶をした。日本語で。
私がAちゃんの声を初めて聞いたのは、なんと日本語でだった。あんまり小さな声だったので、その時だけ会場がしーんとなった。
そして。発表会が終わった次の週のこと。レッスンに来たAちゃんがいきなり
「次はこの曲を弾きたい。引越しをしてピアノがないので、今、電子ピアノを探しているところ」
と、たて続けて言ったのだった。うなずきながら、涙が出そうになってしまった。私たちは何事もなかったかのように、いつものようにピアノに向かって肩を並べた。
「いい曲だね〜。春の発表会めざしてまた一緒にがんばろうね」
この3ヶ月の間に、何が私たちの間に起こったのだろう。わからないけど、何かを少しずつ積み重ねてきた。そんな気がする。
他の人には知られることのない、小さな小さな物語。思えば人生はそういう出来事に満ちている。ヒーローもヒロインもない日常の、なんと鮮やかで劇的で感動的なことか。
この3ヶ月で、私がAちゃんに伝えたかったことはたった一つ。
「私はあなたが好き」
ピアノより何より、片思いが両思いになったみたいでうれしかった(笑)。
【写真】今日は一日中「地中海猫アラモール」のコラージュ制作。白い壁がピンクに染まるほど強烈な夕焼けが届けられた。