【一日一作プロジェクト】「みみよよ」を紹介中。「手続き問題・25」。クリニックで打合せ。
「ココおいで。新しいおうちだよ」
まずは、新しいケージに慣れてもらう。最初はドアを開けっ放しにして、出たり入ったり。私も横でおもちゃを取り付けながら、
「一緒に遊ぼう」
モード。大きくて清潔なケージを、まずは気に入ってくれたようす。これまで検査やチップの取り付けなどで、A先生にも慣れているので、
「ココ、ここで一緒に過ごすんだよ」「ぷぷぷっ」
先生とも仲良し。よかったよかった。第一関門突破。他のオウムとはうまくやれない問題児でも、人間とならそこそこ。鳥専門のクリニックだけあって、
「鳥好きな人しか来ないから、きっとみんなに声をかけてもらえるよ」
と、A先生。それを願って。私がそばにいられない分、みなさんに名前を呼んでもらえることを祈って。この世の誰にも名前を呼んでもらえなかったら、誰だって
「自分は存在しない」
と感じるんじゃないかしら。自分が何者であるか、周りの人は知っている。それだけで、信頼や安心感が、生まれる。私はまるで、友達の家を訪れたかのようにふるまい、笑い、遊び、先生とも雑談をし、
「見放された、置いていかれた、捨てられた」
とココが感じないよう、最後の時間を楽しんだ。お母さんが笑っている限り、リラックスしている限り、大丈夫。そう感じ取ってくれることを信じて。手続きが終わり、いよいよ別れの時が近づく。
「ここは安全な場所だよ」「先生は仲間だよ」「ご飯ちゃんと食べるんだよ」
たくさんの思いをハグに込めて。ココの体を両手で抱きしめる。この匂い、温もり。愛する者を再び手離さなければならない悲しみ。怒り。涙を飲み込み、決意に変える。ここで、終わりじゃない。休戦だ。次の戦に備えて。仕切り直し。
「アスタ・マニャーナ」
私は、嘘をつく。できる限りの愛を込めて。その言葉の意味を、ココは知っている。毎晩、寝る前に必ず言われていたから。
「また明日ね」
ココは、黙って聞いていた。たぶん、それは起こらない。お母さんはどこかに行く。すぐには帰って来ない。自分はここに残される。そして、迎えに来てくれるのをここで待つ。それを、はっきりと理解している顔だった。
「迎えに来るよ」
私は言葉を変えた。「お母さんもココも、みんなそれぞれ自分のいる場所で闘うんだよ」。ココは私の目をまっすぐに見つめ返していた。私たちは、同じゴールに向かって命をかける同志。
あの日、全てに「ノー」を突きつけ、私と一緒になると決めたのは、ココなのだ。何があっても闘い、己を貫くと決めたのは。
「全ては、あの決断、あの意志から始まった」
だったら、これでココがくじけるわけがない。これは、ゴールにたどり着くまでのプロセス。成功への階段。私の悲しみを感じ取ったA先生が、
「毎週、写真や動画を送るから」「ココをよろしくお願いします」
先生としっかりハグをし、荷物を持って玄関に向かう。信じるしか、ない。祈るしか。ドアに手をかけた瞬間、1回だけココが鳴いた。
「ひゅーーーーーーっ」
長く、淋しげな声だった。「テ・キエロ、ココ!(愛してる)」。ふり返り、いつもの笑顔で応える。泣き出したくても、最高の笑顔になる時が、人生にはある。
壊れた心を引きずって、私はそのまま「ココのいない家」に帰る気になれず、1人ビールを飲みに行った。ひとつの戦の終わり。半年に渡る。夏の陣は失った。が、
「私たちには冬の陣がある」
まだ次がある。まだ闘わせてもらえるのだ。今、手にしているものを大切に。ビールの味は苦かったが、見上げればマラガの青空。この空は、日本まで続いている。私たちは同じ星に住んでいる。前進あるのみ!
(明日につづく)