【一日一作プロジェクト】「私たちは生かされている」を作った。用事ついでに、豊橋公園を散歩。
「緑の中はいいのう〜」
かなりの広さで、公園敷地内には、吉田城址、豊橋美術館、陸上競技場、武道館など、いろいろな施設がそろっている。週末ともなると、かなりのにぎわい。
「ユニフォームやゼッケンをつけた小中学生」
の姿を見ると懐かしさが〜。小中高大ずっと体育系だったので、毎日朝から晩まで部活の練習に明け暮れていた。常に、汗びっしょり(笑)。
「うちはももちゃん1人なのに、どうしてこんなに洗濯物が多いの⁉︎」
と、よく母に嘆かれていた。お母さん、ありがとう〜。小中高は規定の「体育着」があり、2、3着をひたすら着回す。そのせいで消耗が激しく、すぐに色あせてしまう。だからこそ、
「試合の時に着られる色鮮やかなユニフォーム」
がうれしかった。「ハレ」の日に着る衣装みたいで。テンションが上がった。子供たちの生き生きとした表情を眺めながら、そんなことを思い出す。豊橋公園へは豊橋駅からでも歩ける。けれど今は無理せず
「豊橋名物の市電で」
のんびり〜。元気で早足の時には遅く感じた市電のスピードが、今の私には心地よい。そのかわり、というのか、すぐ横を猛スピードですり抜けていく若い男の子がこわい(笑)。風圧でよろけそうで。少しでも当たったら弾き飛ばれそうで。
「自分の身体能力が衰えると、こわいものが増える」
ことを知る。そんなわけで、この1ヶ月は毎日が「弱者になってわかること」レクチャー。思えばずっと健康で(若かったし)少し休めばいつのまにか治っていた。「接骨院は初めて」という私に、先生がぽつり。
「ここまでケガなく来られたことがすごい」
それは強さであり、弱さでもある。私の体は「リハビリして回復」した記憶、経験がない。これまでのようにはいかないことを自覚し、自分の体としっかり向かい合い、全力でリハビリにのぞもう。
帰り道、彼岸花とオシロイバナの群生に出会った。土手や空き地に勝手に生えている、という感じがいい。雑草感というのか。うれしくなって近づいてみると、
「あっ、種だ」
オシロイバナの黒い種があちこちに。そっと3粒ほどいただく。思えば小学校の帰り道、夢中になって種をとり、そこらじゅうにまいていた。あのオシロイバナは育ったのだろうか。
「歩くとは、瞑想なのだ」
と、つくづく思う。体のためだけでなく、心のために、緑の中に身を置こう。心の中を吹き抜ける風が、いつのまにか心を洗い、命の神秘を思い出させてくれる。
「私たちは生かされている」
それは、奇跡のようなことなのだ。もしかしたら「あの時」死んでいたかもしれない。私たちは「己」道をひたすら歩いて行きましょう。「己」文字であり、「NO」文字でもある。
みなさま、すてきな日曜日を。