「お葬式」の前にまず
「お見送り」のことを書かなくては。
ベラが息を引き取った
9月21日午後6時。
私とカロリーナ(娘)とクリスチャン(長男)は
ベラの体にしがみつき
キスをしながら号泣していた。
それをかわるがわる3人で
何回か繰り返すうち
夜の8時近くになってしまい
やっと涙も枯れ果てた私たちは
自分たちがお昼ごはんも
食べていないことに気づいた。
「宅配ピザでも取る?」
放心状態で、食事のことも忘れていたが
そういえば喉だってカラカラだ。
「ビールも頼もう」
私たちはベラといっしょに
ピザを食べ、ビールを流し込んだ。
「今夜はパパといっしょに
この家で過ごそう!」
カロリーナは力強く言いきった。
私たち3人は、性格もタイプも
まるでちがっていたが
共通していることが
一つだけあった。
それは
「おおざっぱ」で「常識があまりない」
ということである。
こういう3人が集まると
「看護」にはいいが
「葬祭」という法的な事情には
まったく頭がいかない。
「ところで・・・これから
どうすればいいんだっけ?」
ピザを飲み込みながら
クリスチャンが自信なさそうに聞く。
「確かお医者さんを呼んで
死亡診断書を作るんだよね」
「そうかー。しろうと判断で
死亡したと思ってちゃいけないってことか」
私たちは「看護」に全力投球だったので
「もし亡くなった場合」のことを
まったく考えていなかった。
「とりあえずドクターに電話しよう」
その一時間後
ドクターが二人、現れた。
ベラの体を器械で確認し
「死亡診断書」なるものを
私の手に手渡しながら言った。
「葬儀屋にはもう連絡してあるよね」
「葬儀屋って?明日探そうと思ってたんですけど」
ドクターは一瞬、信じられないといった顔で
私を見つめた。
「奥さん・・・ですよね?」
「はい」
「まだ葬儀屋に連絡もしてないの?」
「それはどうやって探すんですか。
イエローページか何かで?」
「・・・・・・」
二人のドクターは顔を見つめ合い
声を落として話し合い始めた。
「おまえ、知り合いの葬儀屋いないの?」
「でも、それは僕たちの仕事じゃないよ」
「だってこの家族、見捨てていけないよ。
状況がまったくわかってないんだから」
そのときカロリーナが言い放った。
「今夜はみんなでここで
パパといっしょに寝ようと思ってるんです」
その言葉を聞くとドクターは
すごい勢いで振り返り
「こんな30度もある部屋に
ほおっておいてはいけませんよ」
そして私たちの返事を聞く間もなく
ポケットから自分の携帯を取り出すと
「ビクトル?ここに状況がまったく
わかってない家族がいるんだけど」
というフレーズで、話を始めた。
そのときになって
私たちは初めて自分たちが
「状況がまったくわかってない家族」
であることを知らされたのであった。
うちの住所を葬儀屋に
必死で連絡しているドクターの横で
もう一人のドクターが私に尋ねる。
「それで生命保険には入ってるよね?」
「入ってません」
「えっ。じゃ、自費なの?」
「自費って、いくらかかるんですか。
今あるの100ユーロくらいですけど」
「えーっ、お金の用意もしてないの!」
看護に全力投球の私は
「万が一亡くなった時のこと」など
もちろん考えては、いない。
「僕、スウェーデンからあわてて飛んできたから
現金は150ユーロくらいしか持ってないよ」
クリスチャンが横で、ぼそりとつぶやく。
それを聞くとドクターは顔色を変え
携帯電話に割り込み
「お金の用意もしてないんですよ」
と、葬儀屋に
汗を浮かべながら訴えていた。
本来なら、死亡診断書を書くだけで
帰れるはずだったのに
私たちのせいで
自分の携帯から
葬儀屋へのアポ入れまでさせられ
二人のドクターは
すっかり憔悴して帰って行った。
その一時間後
「葬儀屋」が現れ
ベラは白い布に包まれ
運ばれていった。
処置室で今夜は保存し
きれいに体を整え
翌日の午後4時から
「最後のお見送り」を行う、と言う。
「ご家族、親せき、ご友人のみなさんも
参列できるように
ご連絡してあげてください」
と、葬儀屋のビクトル氏は
丁寧に言ってくれたが
「お見送りするの、私たち3人だけです」
と答えると
静かに驚いていた。
翌日。
お見送り式は、私たち3人だけ。
素朴な白木の棺に入れられて
眠っているようなベラ。
あんまり穏やかな表情なので
「パパ、グアポ(パパ、かっこいいなぁ)」
とクリスチャンが言い
思わず3人で、大笑いしてしまった。
7月に告知され
あっというまに逝ってしまったので
痩せはしたが痩せこけはせず
傷もなく
本当に眠っているようだった。
私たちはまたかわるがわる
ベラを抱きしめ、キスをし
最期のお別れをした。
遺骨を受け取るのは
明日だと言われる。
外に出ると35度の熱風。
季節はずれのテラルが
続いていた。
べラを迎えに来たテラル。
夏が大好きだったベラのために。
そのときになって私は初めて
会場に参列に来ている
他のグループの人たちが
「それなりの服装」
であることに気づいた。
いくらスペインがお気楽な国、
マラガがおおらかな土地柄だと言っても
私たちのように3人そろって
「Tシャツにショートパンツ&
足元はビーチサンダル」
などという格好をしている人は
いないのである。
そのうえ会場に着いてから
「あー、花をみんな買ってるよ」
と、やっと「生花」という存在に
気づいたほど。
「パパはどんな花が好きだったの?」
「うーん・・・いつも自転車で
野花をつんでたから」
「じゃ、あんなきどった花、嫌だよね」
で、花もなし。
それより抱擁とキスの嵐で
お見送りとなったのだった。
私たちは帰り道
明日の「お葬式」について
話し合っていた。
ベラはいつも
「海にまいてほしい」
と言っていたので
その場所を
「いつも釣りをしていた
うちから自転車で5分の浜辺」
に決めた。
「でも、ただ遺骨をまくだけじゃ、ねぇ」
「捧げものが入った籠を作ったらどう?」
私が提案すると
「僕は、バイキング式がいいと思う」
スウェーデンから来たクリスチャンが
力強く言いきった。
(明日につづく)