ベラのこと・「初めてはずしたネックレス」

CIMG1897 CIMG1912 CIMG1899 20年近く前
ベラに出会ったとき
その首に鈍く光る
コインのネックレスを
していた。

無造作に鎖を通しただけの
そのネックレスは
「ウルグアイのコイン」で
ベラは肌身離さず
身につけていた。

海に入るときも
シャワーを浴びる時も
もちろん
バイオリンを弾く時も
いつでもいっしょ。

とにかく
はずしたのを
見たことがない。

だから首の周りだけが
白く日焼けしないで
不思議な輪を
浮かべていた。

その後、私が
「日本の五円玉」を
プレゼントして
二つのコインがぶら下がる
現在のネックレスとなったのだが
私もこれまで
触らせてもらったことがない。

そんな大切なネックレスを
「はずしてほしい」
とベラに言われたのは
8月のことだった。

私は最初、耳を疑った。
この18年間で
初めて聞く言葉だった。

その瞬間
腹の底から
熱いものがこみ上げた。

それは、なんというか
相撲取りが髷を切るような
闘牛士が束ね髪を切り落とすような
「何かが、終わる」
ことを
告げる瞬間だった。

ネックレスをはずしてほしいと
頼んだわけは
首が痛くて
クリームを塗るためであったが
私にはもっと象徴的な
「今まで何があっっても
手にかけなかったもの」
に、ベラが手をのばしたことが
それを許したことが
たまらない気持ちだった。

何気ない行為の中に
私たちは
もっとも深い悲しみを感じる。

私たちだけが知る
「ネックレスをはずす」意味。
ベラの最後の砦が
崩れていくような気がした。

今、そのネックレスは
私の宝物になって
いつも見守ってくれている。

思えばベラの体に
誰よりも触れていたのは
こいつなのだ。
私より。

ベラが逝ってから
3か月がたつ。
最近、ベラのことを書くとき
記憶がぼんやり
しているのに気づく。

ひとつはあまりに
私の生活が一気に
変わってしまったせいだが
もうひとつは
「ベラといた幸せだった自分」を
過去に追いやって
しまったからだろうと思う。

傷口を眺めて
暮らすのはつらい。
それで私は
あらゆる「記憶」を
「思い出」という箱の中に
閉じ込めてしまったのだ。

ベラを
ベラといた時の自分を
閉じ込めて
封をしてしまったのだ、と思う。

記憶の封印。

そこで
私の「記憶」は
少しずつ「思い出」に
変わっていくのだろう。

私は新しい年を始める。
2016年。
愛する人のかわりに
置き場もないほどあふれた
「絵」と、暮らす。

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「ベラのこと・「初めてはずしたネックレス」」への1件のフィードバック

  1. 決して悲しみでは無い涙が出てきます。
    少しづつ思い出に変わる、深良い言葉ですね。

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