第82話 ほりーの手紙(前編)

その夏、わたしのもとに一通の手紙が届いた。はるばる海を越えて、送られてきた国際郵便。
それは、会社員時代の友人『ほりー』こと、堀場さんからの手紙だった。

たった一通の手紙、それが、こんなにもわたしを喜ばせ、驚かせ、悲しませ、
そして残りの人生を『魂のままに生きる』ことを決意させたのか、
その手紙と彼女のことを、これから書いていこうと思います。

わたしたちは、広告代理店の企画制作部で3年間、机を隣にして毎日忙しく働いていた。
わたしは退職してスペインに移ってしまったが、その後も彼女は
過密スケジュールを日々こなし、
数年のあいだに役職を持つ身となっていた。
そんな彼女から「マラガに来たい」と手紙がきた。正直、びっくりした。
今まで何度誘っても、来る様子はなかったし、何よりいつも勝気で、
けして弱音を吐いたりしない彼女とは思えぬ、それはやさしい文面だったのだ。
仏のような穏やかな『ほりーの視線』を感じて、わたしは妙な胸騒ぎがした。手紙には彼女の近況と、
「8月に大型連休をとって、わたしのいるマンションに泊りに行きたい。できることなら、今すぐにでも飛んで行きたい」
と書かれていた。

「何もせずに、ぼーっとしたい」
「移動せずに滞在して、ゆっくりしたい」
『スペイン』というかわりに、彼女は『乾いた太陽の匂いのするところ』へ行きたい、
そして『マラガへ行きたい』というかわりに、『エッセイを読んでいるうちに、そこへ行きたくなってしまいました』
と、書いた。

『スペイン』という国名、『マラガ』という町の名さえ、抜け落ちている手紙。
そう、ほりーが求めているのは、心身の深呼吸。人生の意味、自分の内なる声に耳をすましたいという必要、
つまりこれは彼女の
SOSなのだ!
「よ~し!」
わたしは、ほりーが来たらいっしょにしたいことを、あれこれ思い描いてみた。
時計なしで、一日を過ごすこと。
ごはんをおなかが空いた時に食べること。
眠くなったらいつでも寝ること。
目が自然に覚めて起きること。
朝一番にテラスに出て、空と海を眺めること。
おはようのベソ(キス)で一日を始めること。
焼きたてパンで食事をすること。
昼間っから浜辺へ、サンドイッチとワインを持って出かけること。
地中海に沈む、トマトみたいにぽってり赤い太陽を眺めること。大笑いすること。
大声を出すこと・・・
これまで、ほりーにはいろいろ心配をかけてきて、

「これでやっとお返しができる。ほりーを元気にするんだ!」
と思うと、うれしくてたまらなくなった。
会社員時代、すぐに熱くなるわたしにいつも
「ももちゃん、また怒っとるの~?」
「納得いかんのだなー、ももちゃん」
と、名古屋弁でいつも笑い飛ばしてくれた、ほりーだった。

最後に彼女に会ったとき、わたしはしつこくスペイン滞在をすすめた。
ほりーが「大陸に魅かれる」と、いつも言っていたから。
「魅かれるのには、ちゃんとわけがある。それは、わたしたちの魂や血の中に流れている、わたしたちの必要を知らせる声だよ。わたしたちが生まれてきた理由、やるべきこと、人生の大事につながってる大切な羅針盤。あわてる必要はないけど、大事を急げ!」
吉田兼好のように、わたしは訴えた。
数年に一度しか会えないから、わたしは真剣だった。
そしてほりーは、いつものように笑っていた。

それから数年がすぎ、いきなり今回の手紙だった。
さっそく返事を書き、投函しようとした6月9日、つまり手紙を受け取って6日後の朝、
日本の両親から電話があった。
ほりーが昨日、亡くなったというのだ。
一週間前にくも膜下出血で倒れ、昏睡状態のまま昨日、亡くなったと。
わたしは全身が震え、両手で肩をかかえながら家の中を、ぐるぐる歩き回った。信じられなかった。

彼女の手紙の日付は、5月29日だった。
ということは、『手紙を書いた4日後』に、彼女は昏睡状態におちいったことになる。
とすれば、わたしがマラガで彼女の手紙を受け取り、彼女といっしよにするであろうことを思い描いていたとき、
彼女はすでに昏睡状態だったのだ。
つまり、わたしは彼女の最後の手紙を受け取った人間なのだ。「ほりーから、遺言状を受け取ってしまった・・・」

数年も会わないでいたわたしに、なぜ?
なぜわたしに、ほりーの思い、願いがびっしりと書かれた最後の手紙が届けられたのだろう。
「人生に偶然はない」
としたら、この手紙には『意味がある』のでは、ないか?
わたしは、手紙を読み返した。何度も何度も。
泣きくずれそうになるたび、自分を叱咤して、一日中ほりーの手紙を読み返し続けた。
(ほりーの手紙・後編につづく)

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「第82話 ほりーの手紙(前編)」への2件のフィードバック

  1. もう、心の中では、マラガに着いていたんでしょう(T_T)
    真っ青な海に空
    シエスタに、夜のバルやそぞろ歩き
    ビーチでゴロゴロうだうだ
    あの日本と真逆な世界に

  2. 「もう、心の中では、マラガに着いていたんでしょう」
    Tomilloさん、どうもありがとう。
    そう言われるまで、気づきませんでした。

    『心の中』で、もう、ほりーはここにいたんだ。
    わたしたち、いっしょだったんだ。
    そのことに気づかせてくれて、
    Tomilloさん、ほんとにありがとう!

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