第90話 音楽は魔法の風

女性ドクター2人と、救急隊のお兄さん2人による迅速な救急処置と運搬により、
ベラは病院に運ばれていった。さっそく検査。2時間もすると、面会が許された。

「だいじょうぶ?」
「うん、痛かった。でも、もうおなかすいてぺこぺこ・・・」
「えぇっ」
こっちは心配で、食欲もふっとんでいる、っていうのに。
結局、検査結果は『異常なし』、激痛の原因はたぶん暴飲暴食、さらに暑さによる過労であろうということになった。
とりあえずほっとして、バスで家に向かう。あまりの出来事に憔悴しきって、
わたしは『ドゥーケ』に言われていた『防犯システム』のことを、すっかり忘れていた。

この家は入る前に、セキュリティを『解除』してからドアを開けなくてはならない。
解除せずにドアを開けた場合、直接セキュリティ会社に連絡が入り、その後、折り返し電話が入る。
まちがいで起こった場合は、その旨を伝え、暗証番号を入力すればいいのだが、
『怪しい』とセキュリティ会社が判断した場合、ただちに警察に連絡がいくようになっているのだった。

そんな大切なことを、すっかり忘れ、わたしはドアを開けた。
「ガチャッ」

その瞬間、自分でも何が起こったのかわからず、大音響におののき、床に座り込んでしまった。
「ビイィーーーーーーーッ!」
「ひやぁぁぁ~」
その理由を思い出したときには、時すでに遅し。わらわらと、表にはご近所さまが集まってくる。
「あの、わたし、泥棒じゃありませんので」
必死に訴えるが、彼らにしたら見たこともない東洋人がお隣の家の玄関で
あわてふためいているのだから、怪しいことこのうえない。

「解除するための『暗証番号』は、何だっけ」
必死で考えるが、うちの電話番号も思い出せない状態なので、

「あわわわ、いったいどうしたら・・・」
そのとき、確認の電話がかかってきた。

「こちら○○セキュリティですが」
「あっ、すみません。あの、わたし、友人なんですが、解除するの忘れてドア開けちゃって。」
「暗証番号は」
「それが、あまりに動転して・・・えっと、3・・6・・だっだかな」

「・・・・・・・」
「あの、今、病院から戻ってきたところで、今朝、救急車で運ばれたんです」

主語も、文脈もめちゃくちゃである。
セキュリティ会社の職員は、きっとあらゆるこうした場面になれているのだろう。
病院と聞いたって「お大事に」なんてことは、言ってくれない。相かわらず厳しい口調で続ける。

「では、その家の家主の名前を、フルネームで言ってください」
「ドゥーケです!」
わたしは自信をもって答えた。が、電話の声は冷たく言い返した。
「その名前では、登録されていませんね」
登録されてないって、みんなそう呼んでるんだから。
「フルネームは?」
「あ、たしか、苗字は『I』で始まってたんじゃないかなぁ」
答えれば答えるほどに、怪しくなる。自分でも
「こりぁ、だめだ」
と思えてくる。しかしこれで、警察に通報されたらたまらない。救急車とパトカーという、特殊な公共交通機関に2日連続で乗ることだけは、勘弁してもらいたい。

わたしは受話器に向かって必死に懇願した。
「お願いします、この家の主人のケータイに電話して、確かめてもらえませんか。わたし、ももっていいます。彼の友人で、犬の世話をしてるんです」
泥棒にしては、あまりにまぬけと思ったのか、
「いいでしょう。そこにいてください」
「もちろん、いますよ。ここに住んでるんですから」
結局、連絡、確認がとれ、わたしは無事、泥棒でないことが証明された。そして、ご丁寧にもご近所さまが呼んでくださった警察は、事態を知るとすぐに去って行った。

「あ~あ~あ~」
病院で大泣きするわたしを、ベラはそっとなぐさめた。そして、
「みなさんに迷惑をかけたから、恩返しをしよう!」
と、前向きな提案をした。
「何するの?」
「病院コンサート、明日退院するから、さっそく練習しよう!」

その話をすると、医者である『ドゥーケ』は大喜びし、さっそく病院に話をしに行った。
そして、9月21日の『世界アルツハイマーの日』に、病院コンサートは行われることとなった。

さっそくプログラム作り。曲目と解説、スペースが空いていたので『ムシカラバナ』のスローガンである
『ラ・ムシカ・エス・ウン・ビエント・マヒコ(音楽は魔法の風)』を、イラスト付きで入れることにした。

「いいね、プリンセサ」
ドゥーケはわたしのことを、そう呼ぶ。『お姫さん』って。
こんなに迷惑をかけたのに、いつもドゥーケはやさしい。
それどころか、1週間の滞在予定を勝手に3週間に変更し、
「観光だってしたいでしょうに」
と、奥さんにあきれられていた。
わたしは毎日、ウイスキーをちびりちびりとやりながら語られる『医者人生裏話』に耳を傾ける。
いろんな土地、国を転々として、しかしメスを握り続けた人生。アルジェリアの病院にいたときの苦労。そして去年、定年を迎えたこと。

いよいよ9月21日のコンサートの日となった。
会場に、患者さん、白衣のドクターや看護婦さん、病院のスタッフが続々と集まってくる。
その最後、ぽっかりと空いた最前列スペースに、看護婦さんにつきそわれ運ばれてきたのは、車いすのアルツハイマーの患者さんたちであった。
今日のコンサートの主賓である。

「では、始めますね~」
曲の紹介をしながら、いろんなジャンルの曲を演奏していく。が、曲が終わるたび、拍手をするのは周りの人たちで、彼らはぼんやりと、宙を見つめていた。
わたしの中に不安が流れ込む。
「楽しんでもらえてないのではないか・・・」
でも、続けるしかない。
わたしは笑顔でおしゃべりしながら、演奏し続けた。

5曲目『シューベルトのアベ・マリア』を弾き終えたとき異変は起こった。
わたしの目の前に座っていた車いすのおじいさんが突然、はらはらと涙をこぼし始めたのだ。
そして、力の限り、わたしたちに向かって、不器用な動きで拍手を送った。
「ちゃんと、届いてるんだ!」

それがわかって、猛烈に元気がでてきた。わたしたちは目くばせ
すると急遽、プログラムを変更した。
「さぁ、ここからはみなさん、音楽にあわせて手拍子してくださいね」
拍手もできないのに、である。ゆっくりとロシア民謡を弾きだす。
「いい、いくよ~!」

その瞬間、信じられないことが起こった。
それまで拍手もしなかった、宙を見つめていた車いすのおじいちゃん、おばあちゃんが、
ぎこちない動きで手を打ちはじめたのだ。
音楽にはあっていないが、体を揺らし、リズムをとってる人もいる。
わたしたちはうれしくなって、どんどん『手拍子』できる曲を弾き続けた。

車いすはそのたびに、すごい勢いでぎしぎしと揺れた。

「ありがとうございました!」

舞台上でわたしたちが挨拶すると、それにあわせて看護婦さんがさっそく車いすを運び出そうとする。
そのときだった。

「あ~あ~あ~」
ひとりのおばあさんが車いすから体をよじって、わたしの方に必死で手をさし出すのが見えた。
あわてて舞台から飛び降り、駆け寄る。おばあさんは、はっきりとしゃべれなかった。
でも、わたしの手を強く強く握りしめると、いつまでも涙をこぼした。

(きっと言いたいことが、たくさんあるのだ・・・)
わたしたちは言葉でなく、涙や手のぬくもり、握りしめる強さで、ごく自然に会話をした。
それを見ていた看護婦さんは、
「その辺にいるので、また呼んでください」
と笑いながら出て行った。
そうして30分近く、誰もいなくなった会場でわたしたちはいろんな、いろんな話をした。

「ムシカラバナ」のスローガンは、「音楽は魔法の風」だった。そのことを、身をもって教えてくれたのは、車いすに乗ったアルツハイマーのおじいさん、おばあさんだった。
9月21日、世界アルツハイマーの日に、わたしたちのスローガンは現実となった。
後に看護婦さんから
「患者さんが手拍子するの、初めて見ました!びっくりしました」
と、聞かされた。

奇跡は、起こった。
が、それを起こした魔法は、どこか遠くからやってくるものではなく、
わたしたちの心がもたらした魔法なのだ。
(第91話に続く)

 

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