もうすいぶん前のことになるが、ベラが告知を受け、緩和ケアを始めた頃、みちえさんからよく手紙が届いた。その「みちえさんの手紙」のことを今日は書きたい。
実際、手紙のこともあったし、メールのこともあったのだが、その文面があまりに文学的であったので、パソコンの画面を見つめながら、いつも「手紙」を受け取っている気持ちなった。
文章というのは、本当に大切だと思う。同じ内容でも、表現の仕方によって、まるでちがって心に届く。特に、最愛の人を毎日看護しながら、死に怯える日々の中で、みちえさんの言葉は心に沁みた。
何が。どこが、すばらしかったのか。その手紙をここで紹介すれば簡単だと思う。でもいろいろ考えて、あえて載せないことにした。なぜなら、それを私なりの言葉でお伝えするのが、筋のような気がしたから。
みちえさんの手紙は、不思議なトーンで流れていく。季節や時間や、人生のあり方が、まるで語りかけるように、淡々とつづられていく。時には詩のように。時には独り言のように。
時に書かれていることは、厳しい現実であったけれども、丁寧な言葉で、みちえさんは私に「人生とは」「離別とは」を、書き続けてくれた。私は何度、その言葉を読み返し、涙を流し、そしてもう一度、顔を上げてがんばろうと思ったことだろう。
べラが他界した後も、みちえさんの手紙は定期的に届いた。私が一度、「毎日泣いてばかりです。どうしたらいいのか・・・」
というような泣き言を言ったときだと思う。みちえさんは同情するでもなく、いつもの穏やかなトーンで、答えてくれた。
「好きなだけ泣くのです。そうして人は『リセット』をして、生き直していくのです」
リセット。その言葉が、私を救った。そうだ。これはリセットなのだ。それから私は泣くたびに、救われるような気がした。浄化され、新しい次のステージに近づいていると、信じることができた。
言葉というのは、なんて大切なのだろう。
私は直観&行動型の人間なので、うまく言葉にできないまま、体当たりで生き進んでいるところがある。それを周りの賢明な人たちに「言葉」にしてもらって、ようやく前へ進んでいる気がする。
みちえさん、すてきな言葉の数々をありがとうございました。こんなにお礼が遅くなってしまい、申し訳ありません。マラガで再会できることを楽しみにしています。
(写真はうちのテラスです。また遊びに来てくださいね。)