生前によく母が作っていた「黒にんにく」を、今では父が受け継いで作り続けている。にんにくが大好きだったベラは、日本に来るたび母の黒にんにくを大喜びでスペインに持ち帰っていた。食事時にはもちろん
「ロシア兵は戦場にも、にんにくを持って行ったのだ!」
などと自信満々で、虫刺され痕に貼り付けていた。ほど「にんにく教」にはまっていたベラも、今はいない。
時間というのは、確実に過ぎていくのだ、と思う。私は黒にんにくを毎朝、食べているが、そのたびに、母、ベラ、そして父を思う。そして最近、私は愛する人たちを、一日の間に何度も思い浮かべることに、気づいた。
こんなことは、若い時はなかった。いや、ベラと母を亡くす前はほとんど。ベラという十八年一緒に暮らしたパートナーを亡くし、私はなんという「喪失感」にこの一年半の間、打ちのめされて過ごしたのだろう、と思う。そう言葉にできるほど、私は歩いてきた。ふらふらとでなく、たぶん猛烈に。今日だけを見て。
私が失ったのは、つまるところ「心の支え」なのだ。心の支えを失い、私は中心点を失った。そのずれ。ぶれ。揺れ。自分を支えていた「絶対感」を失うこと。それまで当たり前に手にしていた安心感、安定感をもぎ取られ、体の重心が定まらないまま、走って来た。
そして今、私は自分の人生を、その不安定や喪失感の上に、確かに築き始めている。そして、きっと私自身の痛みの中から、やがて花は咲くのだろう。少々の風や雨ではびくともしない花が。
そんなことを思いながら、今日は黒にんにくを手にした。思うことは毎回ちがうけれど、さて父は「黒にんにく」を作りながら、何を思っているのだろう。と、思う。