第49話 芸術と自然の家

スペインの家は基本的に石とレンガでできている。
その上に塗装するので数年経つとポロポロと家の壁が剥がれ落ちてきたりする。
「家の壁が次々落ちてきちゃんですけど塗り直してもらえませんか?」
と不動産屋に電話をするが怖ろしいほど忘れやすく
時間にルーズなマラガ人のおじさん
「そのうちこっちから電話します」
と言ったきり2年が経っていた。

あまりのひどさに見かね、不動産屋のおじさんに
「もし良かったら私が塗りますけど。あっ、もちろん塗料もこっちもちで」
「ほんと!? だったらよろしくお願いします」

ひとつ返事でお願いしちゃうところがマラガ人だ。
どの場所をどう塗るのかなんていう確認も何もない。

そういうわけで賃貸マンションであるにもかかわらず
自由に壁を塗ってよいことになった。
まさかおじさんは家中の壁に塗られる色が
緑、黄、オレンジ、黄緑、サーモンピンク、青…といった
極彩色であるとは夢にも思っていなかっただろう。
部屋ごと、壁ごとに上下で色が違うし
月や太陽、星や植物などまで描かれてしまうとは。
リビングや各部屋はもちろん玄関からシャワー室、テラス、扉に至るまで
2週間、とり憑かれたように色を塗った。

各コーナー“モロッコ風”“インド風”“ハンガリー風”
“中南米風”“オリエンタル”なデザイン、配色。
夜になると色の具合がよくわからないのでベッドに入っても
「ああ、早く朝にならないかなぁ」って
寝ても覚めても。
テレビを見ても気になるのはキャスターのバックの壁。
移動中は車の窓から見える高速道路や橋の壁(ってグラフィティか?)
それにしても納得したのは“壁”とは理想的なキャンバスであるということだ。
その大きさ、距離感、バランス…。嫌なら何度でも塗り戻して描き直せばいい。
「すごいっ…!」
すっかりとり憑かれて壁に向かった。壁に近づいたり離れたり、イスに登ったり降りたり
身体全体を動かして描いているときの心と身体の一体感。
それはイスに座って描いているのとは全く違う世界だった。

肉体も時間も忘れて自分が一個のアノニモ(無名)の命となり
“創り出すメディウム(媒体)”になる。
その時、私は描いていなかった。
色が形が私を連れて行く。それは作曲や編曲、演奏している時と同じ。
心と身体、呼吸と肉体の一体化、集中した時だけに起るあの不思議な世界に
この2週間ですっかりはまってしまった。

曼荼羅図のようになってしまったマンションを見回しながらベラがぼそりとつぶやく。
「僕たち宗教センターに住んでるみたい」

最後に玄関の壁の上に
“CASA de Arte y Naturaleza”と描き入れた。意味は
“芸術と自然の家”

マンションは住居であると同時に仕事場でありオフィスであり、
マラガ下町コミュニティの集会所でもある。
ここで毎日、ピアノ教室、リハーサル、打合せ、食事会…などが行われ、
大勢の人が訪れる。
先日、ここで画家のレイナが大好きなロン(ラム酒)のグラスを掲げながら叫んだ。
「(この家は)エスタ・ビバ(生きている)!」

こうして壁塗りの味を占めてしまった私は町を歩いていても、
テレビを見ても、ホテルに行っても、壁ばかり見ている。
“インド儀式床絵”の写真集にすっかり魂を奪われてしまい、
「次はちゃんと意味のあるものを描きたい。意味こそ力だ!」
と壁に向かって仁王立ち。それを横目で見ながらベラがぼそり。
「どうして君、市長にならなかったの?
一年中やる気とプランがいっぱいで」

(第50話につづく)

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