その日、マルベージャのマルベージャホテルでプライベートパーティの
演奏が入っていた。夕方から余裕で機材を積み込み始める。
電子ピアノ、アンプ、スピーカー…これでよし。
と、ベラが顔色を変えた。
「く、車が動かない!」
「ええっ!」
原因不明、故障を修理している時間もない。
「ど、どうしよう…」
一刻を争う事態。頼りになるのは、マラガ下町コミュニティの面々だった。
さっそくロベルトが自分のクルマで駆けつけてくれる。
何とか機材を移動し、車に乗り込もうという段になって
「この車の使い方、説明するね。まず、ライトはつかない。
シートベルトは取り外しができないから、身体の方を入れてね。
ドアは鍵がかけられないから駐車場所には気をつけて」
この車もなかなか個性的だ。
ホテルに着くと予定時間より既に20分遅れ。汗だくになって
機材を搬入する。今日のパーティの主宰は大金持ちの
ロシア人とスウェーデン人の夫妻、プラス20人ほどの家族友人。
頼まれていたのはディナー中の“静かなクラシック”だった。
ところが…毎度のことだけど一体なんでこうなるんだろう。
クラシックと言っていたのにスウェーデン人の奥様は音楽屋を見るなり
「じゃあ、まずアバで!」って。
言葉を失っている私たちに
「前菜のキャビアがきたらロシア民謡ね」
って全然違うじゃないか。
弾けないわけじゃないから弾くけど、本当にクラシック専門のミュージシャンが
来ていたらどうなったんだろう。
後日、この仕事をふってきた知人に電話で話すと大笑いしながら
「だから二人にお願いするんじゃないか。
この仕事、融通が利かないとダメだから」
って、これは融通とはいわんぞ。
翌日、車を修理してもらうため、アントニオを探しに行った。
メカニコ(自動車修理工)である彼は、腕はすばらしいが
電話というものを持っていないので、彼の棲家辺りをうろついて自力で探すしかない。
「アントニオ見なかった?」
「今朝、見たきりだねぇ」
「30分くらい前、その辺歩いてたよ」
アントニオは、貧しく行くのも怖ろしいようなアパートに住んでいる。
電気はもちろん郵便受けさえないので、メッセージも残せない。
そんな彼の仕事場はカジェ(通り)だ。路上駐車して一日中車を直している。
知る人ぞ知る腕利きメカニコのアントニオはかつてスイスで修行し、
歴とした免許も持っているのだが、その後、事情で家族と別れ、
今のボヘミアンの暮らしとなったのだった。
彼に何があったのかは誰も知らない。でも“訊かないでそっとしておく”のも友情。
過去に何があったっていいじゃないか。
アントニオは一年中通りで働いているので日焼けして真っ黒だ。
車の部品の調達はマラガ郊外にある
“配車置き場”。いいのを見つけてきてせっせと
修理している。
一度、見かねた友人がケータイをプレゼントしようとしたら
「かけられたくないので要らない」
と断わった話は有名だ。
そんなアントニオをバーベキューに招待した。
マラガ下町コミュニティの面々がお酒や食料を手に手に集まってくる。
その中に元サッカー選手のシンガーソングライター、ジョランダがいた。
彼女はギター片手にいつでもどこでも歌っている。
元サッカー選手だけあって筋肉隆々の太腿で本日のメインイベント、ビーチテニス大会でも
男どもを圧倒していた。とにかく早い、強い。
「かっこいい…」
アントニオは心底うれしそうな表情を浮かべジョランダに右や左へと振り回されていた。
(第52話につづく)