私の人生の、公私のパートナーだった「べラの誕生日と三回忌(満二年)」を迎え、区切りの九月を迎えた。ベラがいなくなって、これで三年目に入る。
それは同時に、ピアニストをやめて三年目。であり、ソファもテレビもベッドも捨てて、家をアトリエに改造して三年目でもある。
そして、私が本格的に絵を描き出して、三年目。なので、九月は私にとって単に「新学期」というだけでなく
「リセット」
「新しい自分への挑戦」
そして
「新しい世界に自分を駆り立てる」
月にもなっている。
べラを連れて行ってしまったのも九月だが、打ちひしがれた私に命を吹き込んでくれたのもまた、九月なのだ。私の大好きな九月のマラガ。
二年前は、絶望だけを含んでいた夕暮れが、今では平穏を届ける。二年とはそういう時間だ。一日の終わりに、感謝が私を満たす。
「カウントダウンで毎日を送っていた」
二年前の自分が、今でもはっきりとよみがえる。
怯えと悲しみと怒りと絶望で、死と隣り合わせの毎日の中で
「今日か明日かと、心を引きちぎられそうになりながら生きた」
九月を、私は忘れないだろう。
だからこそ、今の平穏を私は抱きしめる。感謝の念で、ただただいっぱいになる。この道が、あの絶望の先の見えない暗闇から確かに続いているのだと思うと
「歩いたことで、道にしたのだな」
と、しみじみ思う。道など、なかった。
べラの大好きだったにんにくとレモン、果物をお供えする。その横に、伊賀忍者の里でベラが目の色を変えて入手した「手裏剣」も、そっと添える(笑)。懐かしい思い出は、私の心を温め、そして傷つけもする。
それを、呼吸を変えずにつぶやけるほど私は
「生きることを重ねてきた」
のだ。無我夢中で。全力で。熱中して。集中して。
そして今、振り返る。この二年間を。長くも短くもあった二年間。夢中で、駆け抜けた二年間。よく息切れしなかったな、と思う。きっと、べラと母が守ってくれたのだろう。
ベラといつも行った海を、一人歩く。ビーチから観光客が去った、九月の静かな夕暮れ。浜辺に立つ釣り人を見ると、思わず胸がキュンとなる。釣り好きのべラの横で、いつもパラソルを広げ何時間と過ごしたあの頃・・・
そういう記憶も、少しずつ遠くなる。ベラを忘れてしまうのでなく、私が走り続けることで「見える景色」が変わるから。
すべては、変わりゆく。とどまってるように見えても、全ては過ぎ、形を変えていく。
私は変わり続ける。先が見えないことは
「不安でなく希望」
なのだから。
明日のことは、わからない。だから希望が持てる。私は明日が好き。まっさらな、新しい日。それは毎朝、誰の元にも届けられるプレゼント。
みなさんにとって、すばらしい一日になりますように!