中日新聞からやってきた橋詰さんは、20代のうら若き女性記者であった。
ノートとペンを握りしめながら、いっしょうけんめい質問をしてくれる。
中部を代表するあの、「中日新聞」に載るかもしれない、というのだから、
がぜん力もわいてくるではないか。
体の方は寝不足でふらふらだったが、橋詰さんのひたむきさに打たれながら、
わたしは必死で、正確な日本語を話そうとつとめた。
なにしろ、つい昨日までスペイン語を使って生活していたので
急に「さぁ、今から日本語です」と言われても、
体も頭も、ついていけないのである。
仕方なく、わたしの頭は同時瞬間的「スペイン語の日本語変換」を行う。
「あうう~」「エーと」「何だっけか・・・」「日本語では何と~」
などと、苦しみうめいていると
横からさりげなく、大野さんがフォローを入れる。
「~ということですかね」「彼女、~なんですよ」
微笑をたたえながら、さりげなく場をおさめる大野さん。
その優雅な横顔を見ながら、わたしの脳裏に突然、
はるか20年前の光景がよみがえった。
「ややや、これは・・・」
そう、20年前、大野さんとわたしは、名古屋のとある広告代理店に勤めていた。
そして、イベントや展示会などが催されるたびわたしたちは、
いっしょにクライアント様のところにプレゼンに行った。
プランを説明するわたしが「あううう・・・」を発生し始めるや
「ええ、それはですね・・・」
大野さんは微笑をたたえながら、さらりとあとを続けた。
そして驚くべきことに、クライアント様のどんな質問にも
大野さんはまったく揺らぐことなく的確に答え、必ず場は丸くおさまるのであった。
そして、今日もまた。
「ややや~、これでは20年前と同じではないか・・・」
まったく変わっていないわたしたち。その事実に愕然とするとともに、
「ああ~、もう安心じゃ」
と、気がゆるむ。
今日は「優雅な美声マネージャーの大野さん」に加え、その横には
「精神的チアリーダーのクロさん」もいてくれるのだ。
「ああ、よかった」
すっかり気が楽になり、インタビューは実に和気あいあいとすすんだ。
スペインの生活、音楽のこと、今回の日本公演のこと・・・
「ふむふむ」と、うなづきながら、橋詰さんが忙しくペンを動かす。
それまで、穏やかに聞いていた橋詰さんが、
「おおっ、それは、どのような」という感じで、食いついてきたのは
わたしのスペインでの「貧乏生活」のときであった。
「貧乏だと、どういう生活になるんですかね」
橋詰さんは、目を輝かせてたずねる。
「まず、食事のメニューががわりますね」
「どんなふうに変わるんですか」
わたしたちは、「余談」といった感じで「アーティストの貧乏生活ばなし」に花を咲かせた。
わたしは「貧乏定食のはなし」を披露し、
みんなで大笑いしながら盛り上がっていたのだ。
誰がそのとき、まさかその一ヶ月後、
貧乏定食のナンバーワン「具なしパスタ」が、新聞に登場すると思っただろうか。
でも、まぁ、アーティストの実生活を見事に言い当てているわけで、
さらに、「記事を読んだ!」と、
いろいろな方から「差し入れ」をしていただいたことを考えると
「具なしパスタ」の功績は、大きい。
(「ニッポン驚嘆記・4」につづく)
ああ、確かに、橋詰さん、貧乏話に食いついてましたよ。他の話にうつっても、しばらくすると、また、貧乏話に戻ってくるって感じで。彼女にとっては余談ではなく、明らかに本編でした。
あと、ももちゃんが時々、頭を叩きながら話してる姿も印象的でした。あの時、ああ、ももちゃんは半分以上、スペインの人になってるんだなぁって実感しましたよ。
「本編」だったのかぁ、「余談」ではなく。
気づかなかった・・・。ついでに
「頭を叩きながら話して」いたのも、知りませんでした。
よくべラが「頭を叩きながら日本語を話して」いたので
「たいへんだね~」と、笑っていました。
まさか、わたしまでそうだったとは・・・。
おそるべし、無意識の動き。
ニッポンのみなさまの前で、とんでもないことをしてないか、
急に心配になってきました。