マラガのアーティストたちに助けられながら 私は一日一日生きのびていった。
この上なくポブレ(貧乏)な彼らが しかし圧倒的な強さを放っているものがあった。
それは
“いつでもどこでも誰とでも変わらない自分”
“あふれる思いに従って生きる覚悟”
“こう生きると決めている迫力” だった。
彼らは一様に芸術を人生の中心にすえて 生きていた。
“自分にとって本当に大切なものを大切にして生きる” それは簡単なようだが
実際そう生きていくには すごく勇気がいる。常識や批判、孤独、貧乏生活 などと
毎日戦っていかなきゃならない。
「でも私は音楽屋になるためにここに来たんだ!」
私はいつのまにか強くなった。 一日一日、自分を頼りにして生きるようになった。
そして“覚悟と勇気に支えられた楽観主義”が
一文なしの心と体にじわじわとしみこんできた。
彼らを見ていてつくづく感心するのが
“どんなときでもユーモアを忘れない。”ということだ。
これは何気ないがすごいことだ。 誰だってお金や物や仕事がないと不安になったり
不機嫌になったり誰かを責めてみたくなる。
来月の家賃が払えるかどうかわからないという時に
「もも!よかったね。一文無しの貧困層(ミセリア)から 貧乏(ボブレサ)に移れて」
この余裕、ゆとり。 ユーモアも実力なのだ。 生きていく上でそれは
立派な知的能力なのである。 日曜の朝に開かれるパロのメルカデージョ(市)で
両手いっぱい野菜や果実を買って帰ると ベラとソニアが飛び跳ねている。
「ももー!1ヵ月後にライブが決まったよ」
「野菜なんか置いて!ほら練習、練習!」
「私が・・・本当に弾けるの?」
「今日は私が”料理人”代わったげる。」
ソニアが(貧)アーティストの基本食、パスタとサルディーナ(いわし)を作りにかかった。
プロの音楽屋としての初めての仕事は ナイトクラブの深夜ライブ。
マラガではブルースギタリスト として有名なリトと、バイオリニスタのベラとのトリオで
”ブルースからジプシー音楽まで” 40分を3ステージやるのである。
まずはリハーサル。 練習はいつもベラもソニアもヘススもみんな
うちのマンションのサロン(リビング)でやっていたので どんな様子かは知っていた。
リハーサルは1回、多くて2回。あとはいきなり 本番だ。すごい。さすがプロ。
ま、実力があるからできることなのだろうが
私としては10回でも20回でもリハーサルしたい気分。
「テーマを何回くり返すの?」
と尋ねる私にリトは
「何回だって?そんなのその日の気分だよ」
決まってるのはイントロとフィナル(終わり)だけ。 あとは全くの自由。
演奏する曲の順番だって 舞台に上がってからお客さんの入りやノリで決めていく。
日本の”打ち合わせ・確認社会”が骨のズイまで しみ込んでいた私には、
”気分次第”とか”ノリ”とか言われる たび、足元がスカスカするような居心地の悪さ。
クラシックしか弾いていなかった私は 「音楽はライブ、生き物なんだ!」 と
リハーサルから“洗礼”を受けてしまった。
さて本番当日。
ライブミュージックはスペイン語でムシカ・エン・ビーボ。
衣装なんてないから私服で でかける。会場に着いてびっくり。
まず暗くて楽譜が 読めない。演奏が始まったらボリュームが大きすぎて
自分の弾いている音もよく聞こえない。さらに会場に 立ち昇るタバコの煙で
セキは出るは目はショボつくわ。 「まったくプロってのはどんな状況でも弾くんだなぁ」 と
つくづくミュージシャンを尊敬してしまった。
搬出を終えて家に着いたらもう朝の5時近く。 「ひえー!」 ぐったり。
なんという肉体労働。そうか音楽屋って 肉体労働なんだ。知らなかった。
どおりでベラが毎日浜辺を走ったり海で泳いだり している訳だ。
ベランダでバーベルを持ち上げているのも 見たがそういうことだったのか。
「やったろーじゃないか!」
美しい肉体をもつためでなく、 電子ピアノやアンプ、スピーカーを持ち運ぶために
腹筋、バーベル、腕立て伏せを始めたのだった。