第5話 採譜&編曲で呼吸困難 トリオ用40曲分を作る

リトやベラ、その他にもマラガで活躍するアーティスト仲間に助けられながら、
音楽屋生活が始まった。多くはバックミュージシャンの仕事だ。相変わらず“マンションの料理人”も続けていたので その合間に
“腕立て、腹筋、バーベル上げ”をし、 スペイン語を勉強し、さらに編曲も行う。

「ももー!料理が上手くなってる」
ふふふ、一度一文無しになった人間は強い。
失うものがないというのは何という勇気を与えてくれるのだろう。

何しろ 「こういう仕事なんだけどどう?ギャラはこれくらいで」 と聞かれる前から
「はい、やります」 とにかくすべて「シィ(Yes)」なので迷いがない。
「シィ!」と答えたあと、本当にできるかなぁと思ったが
今日一日生き延びるにはどこかで弾いてお金を稼ぐしかないのだ。
最低3万稼ぎ出さない限り雨露をしのぐ屋根と飢えをしのぐ食料は手に入らない。
この際「どうやって?」は後回しだ。

そして ”自分の腕1本で食っていかねば”というその事実が
迷いや不安、恥といったものを すっかり取り除いていた。

そんなある日、ベラが電話口で叫んだ。
「ももー!ショッピングセンターの仕事が入ったよ」
今回はバイオリン、コントラバス、ピアノのトリオでの演奏だ。

「コントラバスと弾くなんて初めて!」 じーん。しばし感動。

自分の背丈よりも大きい”コントラバス”を抱えて現れたエルネストは20代前半、
音楽学校を卒業したばかり。 今回の仕事は2カ月に渡り週3回という長丁場なので
最低40曲は必要である。

”世界の名曲コンサート”にふさわしくクラシック、ジャズ、ボサノバ、ラテン音楽、
名画のテーマ、 タンゴ、ジプシー音楽など各ジャンルから数曲ずつ ピックアップ。

持ち曲だけでは足りないので、新たに新曲を 20曲近く追加することになる。
「1カ月で20曲かぁ!」
やるしかないのですでに“できるかなぁ”という 心のプロセスが存在しない。

さっそくその日から編曲を開始。 朝から晩まで。
夜はヘッドフォンをつけて深夜 2時、3時まで電子ピアノに向かう。

ジャズやタンゴの弾き方なんてよく知らないから
大好きなアーティストのテープから耳コピーして採譜だ。
毎晩、テープにかじりつくようにして何十回と聞き直し
流れてくる音符のひとつひとつを五線紙の上に書きつける。
“採譜”と今、簡単に言ってしまったが、会社員をしていた私にとって初めての経験だった。
一曲書くのに50回くらい聞くので 一日中やっていると集中しすぎて呼吸困難になってくる。

ベッドの上に散らばる五線紙。 まだカーテンのない窓の向こうにはぽってりと重そうな
オレンジ色の月。時計の針が3時を指す頃、 くずれるようにベッドに倒れ込み
五線紙の隙間に眠る日々が丸1カ月続いた。

「やった!できた!」
ファミリーコンサート開始前夜。 編曲も練習も無事終了。あとは本番のみ。
「絶対、成功させなきゃ!」
契約書も何もない日雇い音楽屋は、主催者が気に入らなければその場でお払い箱も可能。 だから主催者とお客さんに絶対に気に入られる必要がある。

バーベルを持ち上げながら私は叫ぶ。
「トド、イラ、ビエン(すべて上手くいくさっ!)」
口にしてびっくり。それはこれまで会ったマラガの人 〜警察、銀行の人たち、音楽仲間〜が
口をそろえて 私に言った言葉だった。

(第6話に続く)

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