「ももギャラリー」5回目は、ひきつづき「カルトン寺院」シリーズを紹介しています。
音大にも行かず、ピアニストになってしまったわたしは
芸大にもいかず、絵を描いています(笑)
もと会社員だから、迷いがない!
描き始めたきっかけは十年前、
「インドの儀式床絵」という本に出会ってから。
豊穣や健康、安全や魔よけとして、白い米粉で描かれる「床絵」。
その多くは、貧しい暮らしをする女性たちの手で描かれています。
芸大どころの話じゃない。
学校にも行けず、文字を読み書きすることもままならない
彼女たちの手によって、その魔法のような神秘的な画は描かれています。
「画」は、「祈り」。
「画」は、「護りの手」。
描くことにより、そこに生命が宿り、護りの手となる。
災いから身を守る。豊穣、健康、長寿、安全の願い、祈り。
女性たちは「画」を描いて、「神を迎え入れる場所」にかえるのです。
ぜいたくなものは何ひとつない、粗末な土壁や床に、
ぼうっと、白い絵が浮かびあがる。
それは、神秘的な瞬間です。
画は、聖なる場所を創り出す魔法。手段なのです。
手段としての画。勉強の対象ではなく。
そのメンタリティに強く惹かれ、わたしは絵を描き始めました。
「絵を描きたい!」とは思っていたけれど、
「なぜ描くのか」がわからず、描きだせなかった。
技術の問題ではなく、わたしには「描く意味」「画の意味」が必要だった。
人間の生活に、生命にもとづく、原始的な力強い真理。画の意味。
染料が、タッチが、デッサンが・・・という前に
「なぜ、描くのか」
それは、わたしにとってどうしても解決しなければばらない命題だった。
そこぬきに、始められなかった。
29才で、ピアニストになったように
36才で、描き始めました。
といっても、最初は家の壁の修復だから、絵とは言えませんね(笑)
でも、手に「はけ」を持つ暮らし、色の中で暮らす毎日が始まった。
わたしの芸術、創作の大地は、生活に根づいている。
そのことが、自信を与えてくれる。
自然の、創作の、神秘の声、ささやきを聞きとり、形にするのがアーティスト。
わたしたちは「生み出す」けれども
もっとつきつめて言えば、「受け取る」存在。
「結び目」「メディウム」としての自分、をはっきりと感じる。
突き動かされて、カルトンに、キャンバスに、五線紙に、ピアノにむかう。
内からあふれる「強い衝動」。
それをなだめるかのように、憑かれたように制作する。
いや、制作という感覚はまるでなく
ただ、形にしたい、出してしまいたい、というもっと原始的なもの。
何か強烈なエネルギーが、わたしを介して、形になろうとしている!
わたしたちアーティストをしもべにする強烈な力、エネルギーを
「大いなる神秘の力」、とわたしは呼んでいます(笑)
導かれるままに突き進む目に見えない道。
それが、制作。
理論、理屈では説明のできない世界。
今はもう、こういう生活になれました。
たぶん、べラも(笑)
友人の電話に、このあいだもこう、答えてました。
「もも?いつもどうり。狂気のさた!」