一見破壊の後に誕生が

今期の創作活動をスタートするため、朝から作業場の大整理。それが、不幸の始まりであった。時計を見ればすでに午後3時過ぎ。

「静か、すぎる」

普段なら、オウムが空腹に耐えかねて大騒ぎするところ。なのに、うちの中はシーンと静まり返っている。というか、何となくさっきからガタゴトと音はしていた。

が、自分の作業音と入り混じり、気にもとめていなかった。のが、大きな間違い。不思議な音のする方へ近づいみると

「・・・うそ」

すぐに叱る、あるいは驚きの声を上げる、という条件反射さえも奪われていた。満足げに羽を膨らませるオウム。と、彼が「5時間かけて取り組んだプロジェクト」に、私の目は奪われていた。

「IKEAの引き出しが・・・」

「かじられた」いうレベルではない。完全に「削られて」いる。すでに「なおせる」段階ではない。

「こうなったらヤスリで削り『曲線を生かした』引き出しにリメイク」

するしかないだろう。そこまで想像力がたどり着いたところで、やっと我に返った。わざわざIKEAから運び、組み立てた三段引き出し。あまりにも無残な姿。ではあったが

「新しいスタイルが生まれるきっかけ」

では、ある。創作の現場では「一見破壊」のステージを通って「誕生」にたどり着くので、方向転換や見方を変えるという意味では

「ただ一方的に悪い」

とは言えない。壊されて見えるもの、発見できるものがある。とは言え、一応叱って鳥かごに入れた。今回は引き出しだからいいけど、これが作品なら大変。

さて。アトリエ暮らしが再開し、作業テーブルの隙間でランチ。デザートはマンゴー。これがおいしい〜。マラガはマンゴーの産地なので、一個100〜250円で買えるのだ。

今期は、今までにはない新しい作品が続々と生まれる手ごたえをしっかりと感じている。展示会の予定はないけれど、ピアノレッスンをやめ

「毎日創る私」

になってから、全てが変わった。創らないと、アイデアを形にして外に出さないと、死んでしまいそうだった。そこまで追い込まれていた。

「アウトプットする事が、必要だった」

と、今になってわかる。9月からレッスンに来られなくなった生徒さん達のためにも、毎日アート活動に命を注ぎたい。

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