母の命日に、これまでは「お供え」をしていた。この9月、20年間続けたピアノ教室をやめ、アーティストとして生きると決め
「お供えも、アートだろう」
と、思った。私の中にむくむくと湧き上がってきたイメージは、アジアやメキシコで見られる色とりどりの捧げもの。
「花や植物、生き物たちが立ち昇り、舞い上がっている姿」
それも、立体がいい。どうしたらいいのか、しばらく考えていた。その時、目の前のコラージュにふと、目が止まった。
「この子たちを、舞わせてみよう!」
即断。なにしろこれまでコラージュのパーツは、紙(平面)の上に置かれていた。それを上に
「立ち上げたい」
のだから、制作のプロセスがまるで異なる。最初は、何度も失敗した。でも
「命日の母に、捧げものアートを贈りたい!」
それだけの思いに突き動かされ、少しずつ「祭壇アート」の形になっていく。実はこの時、友人から電話があり
「近くに行くから、ももの家に寄るわ。お茶しよ」
とお誘いがあったのだが、どうしても手が離せないので
「ありがとう!ごめん。今、誰も家に入れない状態」「誰かいるの?」
「いや、制作中で。空気も動かせない状態」「はぁっ?」
結局、日程を変えてランチすることに。後からメッセージで、ピアノ教室をやめてから
「人が住める(寄りつける)場所ではなくなった」
と、告げられた。それでも、友達でいてくれるみなさんに感謝。この日は珍しく、オウムも行儀よく。祭壇アート完成と共に、両手を合わせる。
「お母さん、ピアニストの私しか知らないけど、今はアートをやってるよ!」
天国の母から見えるように。って、こんな派手なら、すぐに見つけてもらえそう(笑)。母が亡くなって四年。全力で駆け抜けた四年間だった。