【一日一作プロジェクト】メッセージアート「ミ・ビオリニスタ(私のバイオリニスト)」を作った。「日本上陸記・23」。今日は待ちに待った外出解禁日。
「朝からホームセンターへ」
そこかい(笑)。物置きの屋根にできた「穴」を埋めるべくペーストを購入。さらにいくつかの素材もゲット。これから
「銀行、病院、税務署、郵便局・・・」
と、リストをこなしていかねばならない。「1週間」あるとはいえ「来週」はないので、どこも1回きり。一発勝負。それも完全に自由に動けるのは前半だけ。後半はスーツケースの準備と
「日本出国&スペイン入国の準備」
が待っている。恐るべし。再び怒涛の書類作りが〜(汗)。帰りのPCR検査の予約もしなくては。考えると気が重くなる。ので、とりあえず目の前の「手続き」に集中。
「花を買いたいな」
父と食料品ゾーンを回った後、花コーナーへ。今日はベラの命日。そして、母の月命日。父が作った聖台には「母とベラと敦美お姉さん」が、仲良く並んで笑っている。
「ミ・ビオリニスタ(私のバイオリニスト)」
この絵は、ベラが亡くなる3週間前に描いた。野菜の入っていたダンボールの底に、黒マジックで。この日は「ベラの最後の誕生日」だったので、はっきりと覚えている。
「絶望と悲しみを、怒りに変えて」
私は立っていた。そうでもしなければ、崩れ落ちてしまいそうだった。月の下、バイオリンを抱きしめて笑うベラ。この姿は、彼の「かなわぬ夢」なのだ。
実はその1ヶ月ほど前、担当医に向かってベラははっきりと告げた。
「病院のベッドで死にたくない。パレスチナに行ってバイオリンを弾きながら、イスラエル軍の銃弾に打たれて命を終えたい」
その言葉に、担当医は仰天した。横で聞いていた私は、それが彼の真の望みで、そういう男だと知っていたので
「できることなら叶えてあげたい」
と思った。彼はバイオリニストである前に、社会活動家だったから。実際、活動支援団体の友人に相談しに行った。でも、そこまでの時間は与えられなかった。
その代わり、最後の誕生日を家族友人と楽しく過ごした。そして、まさにその次の週から急激に体調が悪化し、ほぼベッドに寝たきりとなった。それでもベッドの中から
「ピアノを弾け」「絵を描け」
と、いつも言っていた。実際、自宅看護だったので、それどころではなかったし(最後は私も3時間睡眠だった)とてもそんな気持ちにはなれなかったけれど
「弾けない、描けない言い訳に僕を使うな」
と、最後の土壇場でそう言える人を、私は愛したのだ。と思う。そして。その言葉どおり
「いつでもどこでも、誰とでも1人でも」「一日一作」「遊びながら異を結ぶ」
生き方を貫いている。それが、私のベラへの「ありがとう!」でもある。父の作った聖台に、花を添え手を合わせる。
「あれから6年」
走り続けた6年だった。立ち止まったら、倒れてしまいそうで。ベラと母という2つの柱を失い、アイデンティティ(音楽屋としての自分)を失い、私の世界は崩れ落ちた。だから、一瞬で決めたのだ。
「アーティストとしての自分を柱にしよう!」
と。自分の情熱をあてにするのだ。経験や実績、知識や技術でなく。あの時、絶望の中で下した決断が、今日の私につながっている。突拍子もない柱になったけど〜(笑)。
ベラ、お母さん、敦美お姉さん。沢山の愛をありがとう!私たちを見守っていてね。毎日全力で生きてるよ〜。喪失の悲しみは、感謝に変わる。だから
「笑顔でいよう。天国からよく見えるように!」
(明日に続く)
立ち止まったら倒れてしまいそう……ですよね…
私は5年ほど前になぜかアイデンティティを見失って立ち止まってしまった。抜け殻で立っていたけど、ついに倒れてしまった。
やっと、ほのかに、「自分ができる事とできない事」「自分がしたい事としたくない事」は自分にしか分からないのだという事に気付きつつあります。
Momoさんの心には愛がある。数々の試練を乗り越えられているのは、ベラやお母様がMomoさんの心の中で生き続けているから…という気がします。
(すみません!勝手に解釈して)
私も残された日々を愛で生きたい、笑顔でいたい!
Momoさんには及びませんが頑張ります。
Mayさんのおっしゃる通りだと思います。
すてきな言葉をありがとう!
その後、体調はいかがですか。
これから引越しが待っているので大変だけれど
「30点で満点!」
です。体調が悪い時は、それが自己ベスト。
以前の自分とは比べず
入院したところ(ゼロ)からスタート。
「今日は3点」「5点」
と、少しずつ回復を楽しんでくださいね。
応援しています。