【一日一作プロジェクト】「悲しみから咲く花」を作った。オウムと別れた翌日、放心状態のままふらりと町へ。A県からマラガへ帰る列車は午後3時。
「まだ6時間もあるんだ」
全く下調べもせず(観光目的ではなかったので)セントロをぶらぶら。中央市場、大聖堂、旧市街、公園、塔、教会・・・広場のバルでお茶をして。どれもすばらしかったけれど
「何も見ず、何も感じていない」
瞬間がたびたびあった。心が別の場所に向かってさまよい出す。C村へ。ペペの家へ。「オウムはどうしているだろう」。その思いをかき消すように、ひたすら歩き回る。立ち止まったら、悲しみに飲み込まれそうで
「あっという間に15000歩」
ランチを食べ、マドリード行きの列車に乗り込む。2時間後、マラガ行きに乗り換えさらに2時間半。行きは2人、帰りは1人。なんて残酷な現実、喪失の旅だろう。
「こんな決断を下した自分が、まだ信じられず、選択に自信も持てず」「それでも挑戦するしか道はなかった、全力を尽くした」
という思いが交錯し、心を切り刻む。眺める青空が夕焼けになり、やがて真っ暗闇の夜へと変わるまで。窓ガラスに額をつけて、声も立てずに泣いていた。そしてマラガに到着。
「オウムのいない家に帰る」
この淋しさを、何と言ったらいいのだろう。もうあの元気な声で、私を出迎えてくれるココはいないのだ。19年間、私が手にしていた日常。あたりまえの平穏。幸せ。
「たったひとつ失っただけで、なんて沢山のものが一緒になくなってしまうんだろう」
夕食を食べる気力もなく、ベッドに倒れ込む。これまでの緊張と不安が少しずつとけるにつれ、自分の悲しみより
「幸せを願う気持ち」
の方が、はるかに大きいことに気づいた。なぜ、涙が出るのか。その源は「私がいなくても大丈夫なのか」という「心配」なのだ。もし、新しい環境でうまくやっていけるなら
「ナナちゃんと2人で幸せなら」
もう何も望まない。幸せになってほしい!ただそれだけ。そのためなら、何だってする。2人が幸せなら、私はどれだけ淋しくたってかまわない。
「幸せでいる姿が見たい!」
これからは「通う場所」「応援する場所」「支える家族」ができたのだ。その瞬間、私の幸せを願い、支え続けてくれた両親の気持ちが、少しわかったような気がした。
その夜、ペペから写真と動画が送られてきた。ぎこちなさそうに互いを見つめるナナちゃんとココ。その動画を何回も見る。何十回と。目を見開いて。隅々まで。何度も何度も。
「これからは応援する立場」
へ。支援する側、見守る側へ。新しいステージの始まり。私自身もリセット。次に訪れる時に持って行くおもちゃを、沢山作っておこう。
「今いる場所で、今できることを!」
それが、私の幸せ道。悲しみの中から、花を咲かせられる人間でいよう。
どうぞみなさま、すてきな1日を。
(ペペの希望で写真はNG。今期の作品を紹介中)