【一日一作プロジェクト】2022年の作品群を紹介中。私が3歳の時、両親に買ってもらったピアノ。今年で
「53歳を迎える」
たぶん、うちに置いてある物の中で、1、2番目に古い。3度の引越しにも「1番大きく重いもの」としてトラックに乗り、ここまで人生を共にしてくれた。53年前、ピアノはまだ貴重品。とんでもなく高価だった。
「まだ家に車がないのに、ピアノがある」
ものすごいバランス。プライオリティ(笑)。高額なピアノを購入するため、父はバイクで通勤。母も移動は自転車で。「そこまでしてピアノ!」という両親の決断、覚悟。を知らずに
「のんびりピアノを弾いていた」
笑。ま、保育園児だったし。ピアノのイスに登るのも踏み台を使い、足が床に届かないので、母に足置き台まで作ってもらい。ピアノ教室に通い始めたものの、なんせまだ文字が書けない。
「ドレミファソラシド」
が、最初におぼえた文字だった(笑)←宿題の音符読み。スペインへ渡り、実家のピアノに触れる機会はめっきり減り、いつのまにか家具の一部のような存在に。
そして9年前。パートナーのベラを亡くし、音楽屋をやめ、アートを人生の真ん中にすえて生きるようになってから、ピアノは完全に私の中から消えた。アートに夢中で。道を拓くのに、前進するのに必死で。
「このままじゃかわいそうだよなぁ」
目の前のピアノを眺めながら、胸がズキズキ。ずっとほったらかし。全く手入れも調律もされず。これじゃいかん!と重い腰を上げ、ついに専門家の方に診てもらうことに。
「ずいぶん音が下がってますね」
そりゃあ最後の調律は、はるか20年以上前だから〜。今回はピアノを開いて各パーツをチェック。構造的な問題もしっかり診てもらう。いわゆるピアノドッグ(←人間ドッグ)。
「では、取り出しますね」
ピアノの内部が外され、マットの上に置かれる。これが心臓部。なんだか手術みたい。目で見て、切れている箇所や動きの悪い場所がわかる。中は、想像以上にボロボロ。
「直すとなると、すべて交換するので1ヶ月はかかります」
そうやろなー。全て手作業。金額だって、それなりにする。うーん。うーん。私がうなりながら迷っていると、いかにも技術畑っぽいお兄さんが
「この時代のピアノはすばらしいんです。今のとは比べものにならない。このタイプは背が高くて、素材も丈夫。だからほったらかしでも、ここまで維持できた」
「○○を見てください。ここが△△で〜」「ここがごいんです」「○○が〜」
私の知らないことを次々と教えてくれる。ほんと何も知らなかった。こんなになっても、文句ひとつ言わず一緒にいてくれたんだなぁ。友達って、大切にするってことだよね。
「よし!やろう」「よければ写真を撮っておいてください。この部分は全て取り替え。この切れてるヒモも全て手作業で新しく付け直します。どんな姿になって帰ってくるか、見てほしいんです」
お兄さんは、きりりと言い放つ。なんとか修理部分を最小限にし、調律込みで半額近くに。とはいえ、万札が飛んでいく。私がスペインへ戻らなければならないことを伝えると
「できるだけ早くお届けします。絶対見てほしい。音を聴いてほしい。なんとしてもスペインへ行く前に!」
お兄さんは、ピアノの心臓部を毛布でくるんで去って行った。この部分がないと、当たり前だけど音は出ない。なんだか急に心が空っぽになって
「ピアノを弾ける日々」
を取り戻したい。と思うようになった。プロとしてではなく、アート活動やコミュニケーションのひとつとして。そして、何より自分のために。
ピアノが新しくなって戻ってきたら、私にも新しいピアノライフ、次のステージが始まるような気がする。希望を羅針盤に。
みなさま、すてきな 1日を。