【一日一作プロジェクト】「全ては流れの中に」を作った。父が、母と訪れた場所とは
「縄文遺跡」
だった。正式には「よしご貝塚史跡公園(シェルマよしご)」と言うらしい。館内に入ってびっくり。いきなり
「人骨が出迎えてくれる」
おぉお〜。豊橋を含む渥美半島には、縄文時代の貝塚があちこちにあり、田原市の「よしご貝塚」は、縄文人の人骨が大量に見つかった場所なのらしい。
小さいけれど、立体的で、想像力の広がる展示室。遺体の骨を集め、四角く組み合わせて埋葬する「盤状集骨墓」(写真)。人骨と共に見つかった犬の骨。
「あの縄文土器で食事を作り、ワンコと暮らす」
なんとも独特の豊かさを感じさせる縄文人。館内をひとめぐりした後は、2階から外へ出る。まぶしい光、青い空、一面の緑。
「気持ちいい〜」「この丘を降りて行くと、人骨の遺跡があるんだよ」
父の案内で、よろよろと歩き出す。またしても、あちこちに人骨が(写真)。かつての集落。この丘の下を掘れば、まだいろいろなものが出てきそう。
「縄文人たちも、こんな景色を見ていたのかな」
ふと思いをはせる横で、父は黙って遠くを見つめていた。その先には、新緑を愛でる母の姿があるのかもしれない。最近、あちこち出かけるたびに父が
「ここは、お母さんと来たよ」
と教えてくれる。私はずっとスペインにいたので、今さらながら「父と母の軌跡」をたどっているような気になる。そしてふと
「母もこの丘から、こうして新緑の景色を眺めていたのかな」
と、懐かしい気持ちになった。と同時に、一緒に見られなくてごめん。自分の人生を優先させたせいで。私には、母への大きな罪悪感がある。
「ももちゃん、体だけは大切にね。人生は変えられる。でも、体は誰も変わってくれないよ」
いつもそう言っていた母。同じ景色を見つめながら、母が隣に立っているような気がした。緑の丘を渡る風。揺れる草。夏草やつわどもどもが夢のあと。全ては過ぎ、消え去る。
「縄文人も母も、もういない」
たとえ肉体はなくなっても、命は、思いは、魂は引き継がれる。私たちは、この星にやって来て去っていく、誰もが旅人なのだ。
「全ては流れの中にある」
父と2人ドライブのはずが、思わず母にも出会えた縄文の丘(←勝手に命名)。また訪れたい。
みなさま、すてきな1日を。