豊橋を出発し、名鉄で名古屋に向かう。
今夜は覚王山の「スターアイズ」で、ライブが予定されている。
ニッポンでのライブ、演奏ももちろん楽しみだが
1年ぶりにお会いする「伊藤さん&中岡さん」、
20年ぶり再会する「秀兄ちゃん&敦美お姉さん」との再会に
朝から胸が躍る。
「伊藤さん&中岡さん」は、当時大学生で就職活動中だったわたしに
アルバイトを通して「ギョーカイ」とはいかなるものか教えてくださった
元上司であり、人生の先輩である。
無知で無能、さらに無謀、という3無のわたしを子犬のように拾ってくれ
ひとつひとつ教え込んでくれた、慈愛に満ちたお二人である。
あれからもう25年。
「ちょっと、もう白髪があるの!」
と、わたしの白髪で、時のたつのを実感する伊藤さんであるが
子犬は大きくなったのだ。
そしてもう一組、「秀兄ちゃん&敦美お姉さん」。
叔父である秀兄ちゃんは、12歳年上なので
小さい頃は、よく遊んでもらった。
夏休みなど一日中、足元にまとわりついていたので
秀兄ちゃんは必死に、わたしから逃げ回っていた。
奥さんである敦美お姉さんは知らないと思うが
「どっちが早く寝るかゲーム」などでは、まんまとだまされたものだ。
目を開けると、姿がない。「足蹴」にされたこともある。
でも一人っ子だったわたしにとって「お兄ちゃん」と呼べるのは
秀兄ちゃんだけだったので、結婚することになったとき
「これからは、秀雄叔父さんと呼ぶように」
と、母にたしなめられたが、どうしてもできなかった。
秀兄ちゃんは、超美人の敦美お姉さんと結婚し、あっ君が生まれ、
東京に転勤し、わたしはスペインに渡り
あっというまに20年が過ぎた。
わたしが秀兄ちゃんを思うのは、11歳のときにプレゼントしてもらった
「星の王子さま」の本を、スペインで開くときくらいだ。
でも、スペインへ渡るとき、スーツケースの中に入れる本に
「星の王子さま」を選んだのは、どこかでつながっていたいと
無意識に思っていたからのような気がする。
秀兄ちゃんとわたしをつなぐ細い糸。
敦美お姉さんのメールのおかげで、20年ぶりにおつきあいが再開。
こんなに時間をおいても、再開できることに
驚きとともに、感謝の念がわく。
べラも、まだ見ぬ親戚との顔合わせに、ずっと心を躍らせていた。
敦美お姉さんはたぶん親戚中で一番、活動的な人である。
これまでも親戚・家族行事の中心的人物として活躍していた。
今夜もライブに、お友達を数人連れて乗り込んでくれると言う。
この敦美お姉さんの行動力がなかったら
今夜の20年ぶりの再会は、実現しえなかっただろう。
栄のホテルで、ライブ用の衣装に着替えながらしみじみと思う。
人生は「行動」なのだ。
生きるとは、行動すること。
地下鉄・覚王山駅でおりて、会場である「スターアイズ」へと歩いていたら
手がかじかんできた。マラガにはない冷たさに、身がひきしまる。
11月の名古屋は、もうこんなに冬支度なのだ。
わたしたちの家族や友達は
「こんな中で生活しているのだな」
と思った。
「こんばんは、今日はよろしくお願いします!」
スターアイズのドアを開けると、正面奥にグランドピアノが輝いている。
「ニッポンはすごいな」と、思う。
マラガでは劇場にさえ、ピアノがない。
ライブハウスにピアノがあることなど、日本では当たり前だろうが
ピアノ設置率は、日本とスペインでは100対5、くらいだ。
音合わせをしながら
そのときまさか、20年ぶりの再会を果たす「もう一組のゲスト」が
この会場に向かっているとは、思ってもいなかった。
(「ニッポン再発見記・11」につづく)